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「証券マン」のイメージ

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#本記事は、2011年11月に日経新聞の「私の履歴書」に掲載された内容をベースに記載しています。

日本経済新聞。

略して日経。

今でこそ、ぼくはまったく読まなくなりましたが、社会人なりたてのころは大変にお世話になりました。

当時、ぼくは営業職で、「新聞記事には未来のヒントが隠されている。ビジネスの種をここから見つけるのじゃ!」的な、今改めて考えれば、「そんなことどうやってやるのよ?!」的なことにチャレンジしていたわけです。

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ま、それはさておき。

実は日経で、当時、楽しみにしているコンテンツがいくつかあったんですよ。

コテコテ証券マンの登場舞台:私の履歴書

そのうちの1つが私の履歴書。

これ、登場人物がすごいんです!

私の履歴書 - Wikipedia

たまにまったく知らない or 関心がない著名人が登場して、「?」となるけれど、王貞治さんのように超有名な人の生い立ちを知ったりとか。

三菱商事の偉い人だったであろう槙原稔さんという方の、交友関係のスケールの大きさに「世の中には“持ってる”人がいるんだなあ」なんて思ったりしてたわけです。

でね。

コテコテ証券マン:寺澤芳男さんの「私の履歴書」が面白い

そんな、数ある私の履歴書の登場人物の中で、今もなお、ぼくの頭のなかで「あー、この人面白かったなあ」ってヘビロテしているお方がいらっしゃるんですよ。

お名前はずばり、寺澤芳男さん。

Wikiによるとこんなご経歴でいらっしゃいます。

  • お名前:寺澤芳男
  • 生まれ:1931年、栃木県佐野市
  • 学歴:早稲田大学政経学部卒
  • 1954年、卒業と同時に野村証券入社
  • 1956年、フルブライト留学生としてペンシルベニア大学大学院ウォートン・スクールに留学
  • 1972年、米国野村証券社長
  • 1982年、会長(在ニューヨーク)
  • 1985年、ニューヨーク日本人として初めてニューヨーク証券取引所の正会員
  • 1988年、MIGA(世銀傘下の多数国間投資保証機構)初代長官(在ワシントンDC)
  • 1992年、細川護煕氏の要請により参議院に立候補(日本新党)、当選
  • 1994年、羽田内閣で経済企画庁長官
  • 1997年、参議院外務委員長
  • 1999年、ローン・スター・ジャパン会長
  • 2001年、東京スター銀行会長
  • 著書:「ウォール・ストリート日記」「Thank You といえる日本人」「英語オンチが国を亡ぼす」等、多数。

寺澤芳男 - Wikipedia

ぼくは、正直まったくもって存じ上げない方だったんですが、経歴を拝見するかぎり、有名なお方のよう。

にも関わらず、この方がぼくの脳内ヘビロテなのはどうしてなのか?

それは、寺澤芳男さんがぼくの考える「証券マン」をまさに地で行くお方だったから笑

百聞は一見に如かず!

ここから肝心の私の履歴書の内容を見ていきましょうか。

引用分の冒頭の括弧内が、(私の履歴書の日数/題名)という位置づけです。

抜粋してますので、前後の流れが不明かもしれないけど、上述の書き手の経歴をご参照しつつ、とくとご覧あれ!

コテコテ証券マン:波瀾万丈の生い立ち

(2日目/ふたつの誕生日)

私には誕生日がふたつある。 昭和6年(1931年)8月31日と10月3日である。不義の父は私が生まれる7か月前に死亡し、母寺澤キクは父に義理立てし、他人の子として栃木県阿蘇郡佐野町(現佐野市)の役場に出生届を出した。その日が戸籍上の誕生日となり、オフィシャルにはこれを使っている。 

2日目冒頭から、「何があった?!」と思わせられる、見事な導入。

誕生日が2つてw

というよりも、波乱万丈な人だろうなぁ、と思わせられるよ。ねぇ。

(2日目/ふたつの誕生日)

私は母が30歳のときの子だった。母は35歳のとき結婚。ふたりの男が母にアプローチしていたのをよく覚えている。きちんと背広を着ていつもお土産をもってくる人と、和服でふところに革表紙のバイブルを入れた人で、私は背広が好きだったが、母は和服と結婚した。

“ふたりの男が母にアプローチ”w

これ、年齢を推測するに書き手が5歳くらいだと思うんだけど、なかなかヘビーな記憶だよね。

コテコテ証券マンの少年時代

(2日目/ふたつの誕生日)

(中略/義父は)毎日私を剣道の町道場に通わせた。剣道は6歳の時から8年間続けた。本部は秩父にあり、千葉周作の北辰一刀流で、私は14歳で1級までいった。

北辰一刀流ってあの『竜馬がゆく』で、登場するアレでしょ?

rekijin.com

凄いな、しかも14歳で1級。

昭和時代は、剣道って人気だったのかしら?

(2日目/ふたつの誕生日)

今の東京の孫たちは地下鉄や電車を乗り継いで片道1時間半かかるという。これを6年間やるのかと思うとかわいそうでならない。夜半都心の地下鉄の駅にランドセルを背負った塾帰りの小学生を見るたびに胸が痛む。日本以外の国では見られない光景だ。

確かに。日本の小学生はそういった意味ではタフだよね。

(3日目/小学校時代)

小学校4、5年生のとき、国語の時間に変わったことをし続けた。三根博雄先生が教科書を朗読すると、私はページが終わりそうになるたびに「ハイ、次のページです」と声を出す。だれに頼まれたわけではない。ぼんやりしていて気がつかない級友の面倒を見てやるつもりだった。

これ、書き手も認識されていらっしゃいますが、相当ウザい子ですね。

同じクラスにいたら、面白がられるかいじめられるかですよ。

(3日目/小学校時代)

当時もいじめはあった。「解剖」といって力の強い上級生に羽交い絞めにされ、ズボンもパンツも脱がされて思春期の始まったわが身をすっぽんぽんにされたこともある。殺してやると恨んだ。

だから言ったじゃん。ウザがられるよ、と。言わんこっちゃない。

しかし、まぁ、この当時からいじめはあったんですね。

というか、私の履歴書で「殺してやる」と書くなんてほんと作者のお人柄が伝わってきますね。

ストレスを思い切り発散してる感じ笑

驚き!昭和時代の「父と子」、「母と子」の関係性

(3日目/小学校時代)

男の赤ん坊は母親から離して父親が抱く。男の干し物は上の竿に、風呂は必ず男から。台所に入ると母に叱られた。母は私の寝ている布団の頭の上は歩かず、裾の方を歩いた。

これはしれっと書いてますが、、当時がどういう時代だか、伝わってくる文章でしょ?

母親ですら、息子の頭の上を歩けない・・・。

当時と比べると男女の社会的地位は大きく変わったんでしょうね。

ところで、「男の赤ん坊は母親から離して父親が抱く。」って著者のイクメンアピールか?

コテコテ「証券マン」らしさ、覚醒!

(4日目/戦時中)

(中略) 遺書と頭髪を封筒に入れて担任の先生に渡した。クラスの全員がやらされたと記憶している。茨城の大洗海岸辺りから米軍が上陸するといううわさが流れていた。14歳で死ぬのか、ちょっと悲しいと思ったが、親も周りの人も同時に全員死ぬ「一億総玉砕」だからとあきらめた。ただ、満員電車の中で偶然触れた女子学生のゴムまりのようなものの感覚を思い出し、ああいう気持ちももう味わえないんだろうな、と残念だった。

相変わらずワンパクさが炸裂してますね。

「満員電車の中で偶然触れた女子学生のゴムまりのようなもの」って・・・?

ところで当時から満員電車はあったんだね。

こういう男性がいたってことは当時から痴漢というものはあったんだろうな。

疑問はそれが、「母親が寝ている、わずか5歳の息子の頭の上を歩けない」時代において果たして痴漢と判断されたのかどうか。

どうなんでしょうね?

(5日目/早大入学)

(中略)・・・私にはとても正しい生活はできない。母親を大事にしてくれる妻をめとり、平凡な一生を暮すことが私にとっては幸せな生活なのである。 ただ、品行方正だったわけではない。大学の図書館の前で悪友と会って新宿へ行き、新宿御苑で知らない女性の後をつけてナンパした。金がないから西口の屋台で安い焼酎を飲んだ。今考えると貧乏な、しかしいつも将来に明るい夢を頂いた青春の真っただ中にいた。

な、ナンパ・・・?!

いつも私の履歴書ってこんな感じで若者の青春バンザイって感じでしたっけ?

(6日目/野村証券へ)

私はもともと文章を書くのが好きだった。子供のときに一番なりたいと思ったのは実は小説家である。高等学院のころ、大学は文学部に入ろうと心に決めていた。丹羽文雄のように早稲田の文学部を出て女のことを書き、読者を楽しませる小説家になろうとも思った。

女のことを書き、読者を楽しませる小説家になろう って相変わらず、この書き手はw

(6日目/野村証券へ)

1954年に大学を卒業、すぐ野村証券に入社した。日本の経済も53年の朝鮮戦争終結で一挙に悪くなり、コネのない私は野村証券の願書に「英語堪能」と書いた。この年野村は110人と採用が多かった。

ふーん。 なるほどねー。

私の履歴書は約1ヶ月続くなか、わずか6日目まででここまで読ませる展開力。

プライスレス・・・!

まとめ:これが「証券マン」のイメージだ

ここまで見てきて、「こういう人材を(当時の)野村証券が採用したということが、まさに証券業界のイメージと言うか、そこにいる人の特徴につながってきたんじゃん?」と思ったのはぼくだけでしょうか?

「大雑把で、適当で、ウザくて、女女言って、ギャーギャーうるさいんだけど、株を売れる人」。

ぼくの個人的な感想というか意見ですが、日本の証券会社は基本、こういう人が多い業界です。

全体的にみんなざっくり。適当笑

でも、ちょっとネジが外れたぐらいが丁度いい業界なのかもしれません。

株式市場という外部環境に大きく依存するため、ストレスも多いでしょうからね。

普通に生きてりゃやってられないんじゃないかと。

証券マンや証券業界に興味ある方は、是非この寺澤芳男さんの私の履歴書をご覧頂いて、「証券マン」の理解を深めていただければ嬉しいです。

ほんだらのー!