パパジン - papazine -

渾身のパパライフをつづるブログ。Let's enjoy happy "papa" life!!

子どもの尿圧と尿切れのよさに、愛しさと切なさと羨ましさを感じる

スポンサーリンク

我が家の3歳の次男、そろそろオムツを卒業が見えてきました!

基本はもうオムツは履かない生活に突入。長時間の外出などで不安なときは、オムツを履かせることはあるものの、それ以外はもうパンツです。

こういう生活になると、外出時のオシッコは、次男=男ということで、パパであるぼくが担当することが多いんですが・・・

ある日、次男がパンツを履いていた日のこと

あれは、ある日、外出中に次男とトイレに駆け込んだ日のときのこと。

手を繋いだままトイレめがけて走るぼくと次男。

男子トイレ入って一番手前の便器に向かって鋭く急カーブ。

「ナイスドリフトっ!」

心の中で小さくガッツポーズ。

場所を陣取ったうえで、急いで次男のズボンを下げ、パンツを下げ、アレが服にかからないように手で押さえる。

束の間の静寂。

3秒とないはずのその短い時間はとてつもなく長く感じられ、僕の脳に信号が届く前に反射的に言葉が口をついて出る。

「あれ、出ないなあ。ほんとに出るの?」

「せっかく走ってきたのに、、これで出ないとかやになっちゃうぜ」と思ったまさにその瞬間、目と鼻の先20センチくらいで勢い良くオシッコが飛び出す。

「おおー」

まるで下町ロケットの発射にでも成功したかのように喜ぶぼく。

でも、放たれるオシッコを冷静にみると、その気持ちはすぐにどこかへ蒸発していった。

「もの凄い尿圧だ」

今まで、オムツという、とてつもなく堅牢で分厚い壁に阻まれ、姿を見せることすら叶わなかったその圧力は、まるでダムを決壊させる鉄砲水のように便器めがけて一直線に放たれていた。

「ほっほーっ、これはすごいなあ。よく我慢した!偉いぞー」

それはすぐそばで見ているパパを感動させるには十分過ぎるものだった。

一方、そんな成長した次男に愛しさを感じながらも、ぼくはある種の切なさを感じてもいた。

「俺も昔はあんな感じでおしっこでてたっけな・・・」

そんなことを思うぼくの目の前で、鉄砲水のパフォーマンスはまだ続いていた。

クライマックスはその引き際。

これがまた尋常じゃないキレを見せる。

もうオシッコが出なくなったかと思ったまさにその瞬間、満足したのか次男はさっとパンツを上げ、ズボンを引き上げたのだ。

尿切れのキレの良さがハンパない

あまりにも突然の幕切れ。

驚くぼく。

「本当にもう少し尿を出し切るまで待たなくて大丈夫なのか?」と心配になるが、次男はどうやら平気らしい。

本当だとすれば、おしっこ終了からズボン履きまでは、驚異的に短いリードタイムだ。

もはや大人の男性界ではお目にかかることはないであろう、絶滅危惧種レベル。

これが子ども界では世界標準なんだろうか。

今度は愛しさの欠片も感じなかった。

そこに残るのは切なさであり、それを通り越した羨ましさだった。

あの圧力と尿切れの良さは、俺には、もう、ない。

その日以来、次男とオシッコに行くたびに僕は考えてみた。

いや、正確に言えば考えないといけない気がした。

どうして、そして、いつの間に、昔自分が持っていたであろう、尿圧と尿切れの良さをぼくは失ってしまっただろう?

考えてみた結果、いくつかの仮説がないわけではなかった。

仮説1:そもそも身体のキレが違う

やはり30代半ばのそれと3歳児のそれは働きのレベルが全然違うということだろう。

ぼうこうが溜められるオシッコの量にはじまり、長年の生活習慣から来る腎臓をはじめとする内臓のガタ。

巷にあふれる情報によれば、将来的には残尿感などでも差がついてくるらしい。

もはや自分の子と競うことすら馬鹿げた話なのかもしれない。

こうやって親である自分が「出来ない」ことがどんどん増えていき、我が子が「出来る」ことがどんどん増えていく。

嗚呼、なんと切ない話なのだ。

仮説2:パンツが汚れることに対する抵抗感が違う

他方、身体的なキレ以外のことが関係しているとしたらこれだろう。

ひょっとすると。

あくまでひょっとするとだが、実は次男は「尿切れが良いのではない」のかもしれない。

そう見せているだけで実は尿は切れていないのかもしれないのだ。

尿がキレていなくてまだ仮に続いたとしても、それを受け入れられるだけのパンツの給水力と純粋無垢な心が次男にはあるんじゃないのか。

尿切れが悪く、多少パンツやズボンの中にオシッコが漏れようがそんなの関係ねぇ。

尿圧だってそう。

たとえ、漏らしてたところでそんなの関係ねぇ。

だから漏れる寸前まで遊んで、結果、我慢することで尿圧を極限まで高めることが出来る。

それに対し、ぼくは、もうそういうことを許せる年頃ではない。

もしも、尿切れが中途半端な状態でパンツを上げ、ズボンを上げて、仮に漏れが生じていたら・・・妻から、いや、長男次男からすら白い目で見られるだろう。

ましてや、オシッコを漏らしたなんて日には・・・。

ぼくにはそんなことは出来ない。

何も考えずに尿圧を高められ、尿切れの良い状態が作れる。

嗚呼、なんと羨ましい話なのだ。

まとめ:オムツが外れて初めて気付くことがある

子どもの尿圧や尿切れの良さは、子どもがオムツが外れて初めて気付くもの。

そこにはいろいろな発見がある。

「こういうことに気付けるのも親である自分が一緒にトイレに付いてってあげられる年齢までなのか・・・」

そう考えると、次男とのトイレ同行が急に愛おしいものになっていった。

ほんだらのー!